1911年 住友電線製造所開設(住友電工の創立)

1911年 住友電線製造所開設(住友電工の創立)

「国产化」を目指して
─电线事业の开拓─

五代目総理事 湯川寛吉(写真提供:住友史料館)
五代目総理事 湯川寛吉(写真提供:住友史料館)

1897年、米国の製钢所で、その技术力の高さを目の当たりにし、母国の后进性に焦りを感じる一人の男がいた。交通?通信?电気を幅広く管辖する逓信省※の役人で、のちに住友の五代目総理事となる汤川寛吉である。万国邮便会议委员として米国を访れていた时のことだった。钢板?电线などインフラの基础材料さえも製造できず、输入に頼らざるを得ないわが国において、国内メーカーの育成が急务と感じ、1905年、住友に入社した。

被覆电线、通信?电気ケーブルの製造を本格化させるため、汤川は1911年に住友伸铜场から电线事业を分离し、住友电线製造所を开设。この年の秋に电力用铅被纸ケーブルの実用化を日本で初めて成功させ、京都市内の高圧地下ケーブルに採用された。技术の未熟さからくる故障を一つ一つ克服しながら、汤川は费用を惜しまずその研究を进めさせた。被覆电线、通信?电気ケーブルの国产化にも成功し、技术力の一段の飞跃を実証。时代に先駆けた技术开発に努めたのだった。

※逓信省:现在の総务省

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